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訃報

土井たか子さん ありがとうございました
 
土井さんは、ちょうど10年前に発足した「憲法行脚の会」の大黒柱でした。
社民党の党首をやめてから、土井さんが最も力を注いだのが、この会を中心とした護憲の運動です。
出発の時の呼びかけ人から、城山三郎さん、三木睦子さん、そして土井さんを亡くしましたが、これからも私たちはその遺志を受け継いで、改憲勢力と対決する運動を進めていきます。

                                        佐高信


米国38代フォード大統領と土井たか子さん。
(左は田英夫氏)74年頃。



2015年12月12日「土井たか子さん、ありがとう!思いを引き継ぐ集い」
以下は想い出を語られた方々の抜粋です。

ご発言

永井憲一さん

内海愛子さん
保坂展人さん
生瀬悦子さん
樋口恵子さん
早野透さん
東門美津子さん、樋口陽一さん
落合恵子さん
五島昌子さん



11月25日 
土井たか子さん「お別れ会」
 
落合恵子さん、佐高信さんのお別れの言葉。




土井たか子 さんの当会での最後の登壇、2008年5月、故 ベアテ さんをお迎えしての会での動画です。http://youtu.be/ssSJfUWuPWU



ベアテ・シロタ・ゴードンさんが、
12月30日亡くなられました。
安らかにお休み下さいますよう、
謹んでご平安をお祈り申し上げます。




ベアテ・シロタ・ゴードンさん

二〇〇八年五月八日、ベアテは東京都千代田区の内幸町ホールにいた。「憲法行脚の会」主催のシンポジウムで、土井たか子や落合恵子と語るためである。テーマは日本国憲法の第一四条と二四条。

法の下の平等と家族生活における個人の意義と両性の平等を謳ったこの一条はベアテの起草したものであった。当時、ベアテは二二歳。ベアテの人生をマンガにした樹村みのり『冬の蕾』(労働大学出版センター)によれば、彼女が起草に関わったことは内密にされた。

そんな若い女性がと、よけいな反発を招くことを避けるためである。

「週刊金曜日」の九九年日号で、ベアテは落合恵子と対談している。そこで落合は、ベアテが書いた草案のうち、三割ぐらいしか憲法の条文に反映されなかったとして、通らなかった条項の三つを次のように要約している。

一つは「妊娠と乳児の保育にあたっている母親は、既婚、未婚を問わず、国から守られる」二つ目は「嫡出でない子ども(非婚の子)は法的に差別は受けない。」三つ目は「すべての幼児や児童には、眼科、歯科、耳鼻科の治療は無料にとする」。

こうした進歩的で画期的な草案をなぜベアテは書くことができたのか。

「リストの再来」といわれた父親のレオ・シロタが東京音楽学校(現・東京芸大)のピアノ教授になったので、ベアテは五歳のときに日本に来た。そして日本の女性たちが戸主(家長)の意のままに結婚させられたり、客が来ても同席せず、台所で忙しく働くばかりなのを目の当たりにし、これではならじと思ったのだった。凶作の時、身売りされる農村の娘の話も忘れられなかった。

もちろん、アメリカでも完全に男女平等が実現していたわけではない。大学を出て勤めた「タイム」の編集局には女性の記者は一人もいなくて、ベアテも男性記者の補助的な仕事をしていた。

前掲の『冬の蕾』には、こんな屈辱的な場面がある。占領直後、日本政府はアメリカ軍が要求もしないのにアメリカ兵のためにコールガールのサロンを早々に用意したというのである。「この話を推進したコノエという男性は何度も日本の首相を経験した公爵だというから驚くわね」

近衛文麿はこう指弾されているのだが、哀しい話である。日本とアメリカの戦争が始まってベアテは両親と連絡がとれなくなったことがあった。その間もたくましく生きてきた彼女は、英独仏露の四カ国語にスペイン語と日本語を合わせて六カ国語を操る。落合との対談の写真には「ベアテさんがしているスカーフには四一言語に訳された日本国憲法第九条が記されている」とキャプションがついている。

落合の「理想とする世界、地球は」という問いにベアテは、「一つは平和であることです。国籍がどうであれ、どこに住む人でも子どもが生まれれば喜ぶし、親しい人と会えば抱きしめて笑ったり泣いたりする。国や民族の文化の違いは大した違いではありません。宗教の違いも大差ありません。みんな同じ気持ちで平和に生きられるはずです。でも、社会的・経済的には平等にならなければなりません。一方に大きな金持ちがいて、他方に貧困にあえぐ人がいる社会は良くない」と答えている。

佐高 信


ベアテさんの参議院憲法調査会でのご発言
2000年五月二日
http://www.kenpoushinsa.sangiin.go.jp/kenpou/keika_g/147_07g.html

朝日新聞訃報

映画「ベアテの贈りもの」解説


三木睦子さんの死を悼む

 佐高 信
  
 三木さんは本会の発足時からの呼びかけ人として、率先して護憲の活動の最前線に立ってくれました。

 首相になった夫の三木武夫さんより睦子さんを政治家にしたかったという声も聞かれましたが、もし、その道を歩んだら、日本最初の女性首相として、この国をもっともっとまともな国にしたでしょう。

 小選挙区制に反対し、護憲政党叩きに抗議の声をあげる三木さんは徹底したリベラリストでした。民主・自民の二大政党が競うようにアメリカ追随のひどい政治に血道をあげている時、三木さんの訃報を聞くとは残念でなりません。謹んで哀悼の意を表します。

 
2012年8月3日に


城山三郎さんを悼む 佐高信

*小向こうを相手にに方言力で勝負せよ

談 話・意見書 報 告


報告


毎日新聞と産経新聞の6月15日付朝刊の意見広告「ご賛同者」一覧

「国民投票法案提出について」

「特権の立場に立って戦争をする国をつくるのですか」(自民党新憲法草案について)

話し合うことを罪に問うのでしょうか
――「共謀罪」は憲法違反です――


「愛の母子像」に碑文がつけられることになりました。(朝日新聞 朝刊神奈川版)を参照ください。各紙もほうじているようです。

 *参考資料「新憲法制定議員同盟」の会員名簿
*08/04/17 自衛隊イラク派遣違憲判決要旨


事務局長コラム掲載しました。
「首都ワシントンで、日本の政権交代を体験して」
2009/10/03

2007年5月14日、「国民投票法」は122対99で、
参議院本会議で成立してしまいました。
報告:事務局長 猿田佐世







07/05/11
、共産党、社民党、国民新党の慎重審議の声を無視した形で、与党と民主党筆頭間の合意に基づき、国民投票法案が憲法調査特別委員会で採決されました。委員会後、近藤正道議員に伺いました。

07/04/16 近藤まさみち議員のコメント
改憲手続きを定める国民投票法案は参議院に付託され本会議で代表質問が行われました。
改憲手続きを定める国民投票法案は衆議院本会議で採決報告
2007年4月12日・国民投票法案が憲法調査特別委員会で強行採決されました。
07/04/12/ 辻元清美議員の強硬採決後のコメント
07/04/12/猿田事務局長の報告

憲法改正国民投票法の成立を止めよう!!
永田町の「緊急連続集会」で声を届けよう!

第4回 4月11日(水)
     衆議院第二議員会館 第一会議室
雨宮処凛さん
綿井健陽さん

*4月11日 (午後5時40分)院内集会
辻元清美氏の「強硬採決直前」状況報告
社民党又市幹事長の国会情勢報告
近藤正道参議院議員による参議院憲法調査特別委員会情勢報告

様々な政党からコメントをいただきたいのですが、応じて頂いたのは掲載の方々ですので、何卒ご了承ください。

第1回 3月14日(水)衆議院第2議員会館第1会議室(終了)
第2回 3月20日(火)衆議院第2議員会館第4会議室(終了)
第3回 3月28日(水)衆議院第1議員会館第4会議室(終了)


談話


安倍首相の唱える「積極的平和主義」はすなわち「積極的戦争主義」です。
 集団的自衛権の行使容認もそこから出ているのであり、憲法の平和主義をないがしろにするそれを私たちは決して認めることができません。
 そもそも、政治家は戦争を起こさないようにすることがその使命であり、戦争が起きたらどうするかというのは政治家の使命放棄です。私たちはあくまでも、戦争を起こす「集団的自衛権の行使容認」に反対します。

         
2014年5月17日


「憲法改正手続法の成立に対する声明」

改憲カンニング法と闘い続ける

                      憲法行脚の会

 先ごろ亡くなった城山三郎さんは、「戦争で得たものは憲法だけだ」と言いました。十七歳で海軍に“志願”し、その後の人生を国家によってメチャクチャにされた城山さんにとって、それは揺るぎなき確信だったのです。

 その憲法をなぜ変えたがるのか、最低投票率も規定せずに「国民投票法」という名の改憲手続法の制定を急いだのは、彼らの自信のなさを表しています。いわば、これは改憲カンニング法なのです。

 安倍鈍感力政権は「戦後レジ―ムからの脱却」を謳っていますが、これは「大日本帝国憲法への回帰」ということでしょう。

 私たちは城山さんの“遺言”を守って、こうした時代錯誤と、あくまで闘っていきます。

 二〇〇七年五月十四日

 

憲法改変準備法の国民投票法制定に反対します

エリッヒ・レマルクの『西部戦線異状なし』に、教師たちに煽られて志願した少年兵たちが、銃弾のとびかう前線で「一体どうして戦争なんてものがあるんだ」と問いかけ、「戦争で得をするやつらがいるに違いねえ」と語り合う場面があります。
 同じように一七歳で兵士となった城山三郎さんは「戦争で得たものは憲法だけだ」と強調しています。
 教育基本法の改変に続く、国民投票法の制定は、まさに戦争で得た唯一のものである憲法を失わせる役割を果たすでしょう。それを望み、戦争で得をしたいと思っている者たちにブレーキをかけるために、私たちはこの憲法改変準備法に強く反対します。

2007年3月14日
 
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